《道祖神リプレゼンテーション》
2021
山梨アートプロジェクト2021 参加プロジェクト

本プロジェクトでは、「道祖神芸術調査グループ」をたちあげ、9名の調査員と4名の特別調査員とともに山梨に根付く丸石神、道祖神信仰とそこから派生する文化芸術にまつわるリサーチ・フィールドワークを実施し、調査、議論を経て、山梨県立美術館の水が枯れた北池を「いしのまつりば」という公園として開いた。

道祖神しんぶん第一号

道祖神しんぶん第二号

道祖神しんぶん第三号

道祖神しんぶん第四号

道祖神リプレゼンテーションドキュメント(本阿弥清編集)

●プロジェクトスケジュール
・活動期間
2021年10月16日~12月12日(展示期間11月16日~12月12日)
・オンライン説明会
日時10月16日19:00-
・合同フィールドワーク(2日連続企画)
日時 10月30日(土)-31日(日)9:00-16:00
・ワークショップ どうそじんを作ってみよう
日時11月28日13:30-
・芸能発表 いしはおどる いしとまう
12月12日 13:00-
・映像上映 道祖神芸術調査グループドキュメント
12月12日14:20-
・丸石神の人類学レクチャー
日時12月12日15:00-
講師 中沢新一

●道祖神芸術調査グループ

山梨の丸石神、道祖神と文化芸術の関係を横断的に調査するために、「道祖神芸術調査グループ」を立ち上げ、招聘した4名の特別調査員と公募して集まった9名の調査員とともに活動を展開。週1回のオンラインミーティングとフィールドワークを実施した。

●調査員

小池準一 (盃状穴研究)
近藤朋希 (ファッション系大学生)
鈴木つな(ダンサー)
芹沢 昇 (道祖神研究)
辻 佑介 (会社員)
戸田圭亮 (カレー店店主)
広瀬和弘 (南アルプス市職員)
渡辺俊夫 (大学院生・アシスタントキュレーター)
金丸貴

特別調査員メンバー

中沢新一(思想家、人類学者)
野沢なつみ(野生の科学研究所 研究員/リサーチャー)
四方幸子(キュレーター/批評家/リサーチャー)
本阿弥 清(NPO法人環境芸術ネットワーク代表、美術家評論家連盟会員)

●道祖神フィールドワーク
10月30日、31日 両日 9:00-16:00

30日
山梨市七日市場道祖神場他リサーチ
山梨県立博物館 丸尾依子学芸員レクチャー

31日
甲斐市宮地地区道祖神場、屋敷神リサーチ
敷島書房見学
金生遺跡・北杜市考古資料館見学(ガイド:長谷川誠学芸員)
山梨県立美術館北池にて振り返り

●協力

一條宣好(敷島書房)
越石寛(甲府商工会議所)
長谷川誠(北杜市考古資料館 学芸員)
丸尾依子(山梨県立博物館)
白砂勝敏(美術家・演奏家)

●撮影 
石山律
深澤孝史
雨宮千鶴
ソラプラピクチャーズ

●編集
深澤孝史

いしのまつりば
「いしのまつりば」は、山梨特有の道祖神信仰の背景や、道祖神から生まれた表現や文化に巻き込まれることを目的とした道祖神のための公園です。
「いしのまつりば」には、「道祖神場」、「盃状穴場」、「石神未満」という3つの遊び場(まつりば)があります。

道祖神場・・・外からいい感じの石を持ってきてまつ祀ることができる場所
盃状穴場・・・石で石を叩いて穴をあけることができる場所
石神未満・・・石を移動させて好きに使うことができる場所

そのほかに、公園を利用した展示とイベントの企画を行っています。

    公園の由来
「いしのまつりば」はもともと、山梨県立美術館の1978年の開館時に彫刻家・流政之が灯篭と池をデザインし、「北池」として親しまれてきた場所でした。しかし、2011年3月11日の東日本大震災の影響で水を貯めることができなくなり現在の干上がった形となりました。そして、この度「道祖神芸術調査グループ」が水の枯れた北池を公園として再生することとなりました。山梨の道祖神信仰とは全く関係のないはずの北池ですが、水が干上がりたくさんの石が露出することで、期せずして山々と川に囲まれた盆地のような場所に変貌しました。それは、かつてさまざまな石の神を祀っていた場所が掘り起こされた後の遺跡のようにも見えます。調査を経て、山梨の人々がたくさんの石とともに何万年と暮らして培われてきた「いい感じ」の石を祀る感性と、「いい感じ」でない石でも「いい感じ」に活用する感性が、私たちと同調したことで北池の見え方が変貌し、道祖神の信仰や文化に巻き込まれることを目的とした道祖神のための公園に生まれ変わりました。

石神未満、丸石神、道祖神

深澤 孝史
山梨県には、地域特有の丸石道祖神があるが、住民は「いい感じ」の石を見つけると道祖神や屋敷神、その他さまざまな神様と一緒についつい祀ってしまう習性がある。「いい感じ」の石を見つけて神様にする才能がある。「いい感じ」の石が見つかるのは、「いい感じ」ではないその他大勢の溢れんばかりの石と日常的に生活しているからなのではないか。河原には流れ流れて角が削り落とされた石がいくつも転がっており、地面を掘ればごろごろ石が出てきて、畑を覗くと出番待ちの石たちがそこかしこに列を作っている。山梨県民が、「いい感じ」の石を見つけて神様にしてしまう背景には、実は「いい感じ」の石でなくても、何万年もの間、日用の道具として使い続けている蓄積があるのではないか。ちょっと散歩して路地や畑、庭先を眺めると、「いい感じ」に活用されている石たちを多く発見することができる。石が「いい感じ」でなくても、ついつい「いい感じ」に活用してしまう様のことを、今回「石神未満」と名付けてみようと思う。それはたくさんの山と川に囲まれた扇状地の地形の中で何万年もかけて、特有の感性として育まれてきたものではないだろうか。
 「いい感じ」ではない石が「いい感じ」に活用される様のことを「石神未満」と名付けてみたが、「いい感じ」であるはずの丸石神も本来は「石神未満」の特徴をそもそも宿しているのではないかとも思えてくる。山梨県にほぼ固有の丸石道祖神だが、なぜ丸石を道祖神として祀っているのかはいまだにわかっていない。しかし、北杜市大泉町の金生遺跡をはじめ、山梨の縄文遺跡からはいくつもの石棒や丸石が出土しており、道祖神ではないが、まるい石を祀るという精神性は少なくともその頃にはあったことがわかる。縄文遺跡があった場所に弥生の住居跡が見つかる例は少なく、住まわれなくなった縄文住居が土に埋もれていき、時を経てその遺跡の上に誰かが住み始める。そしてたまたま地面から丸石を掘り当ててびっくりして、新たな神として、時を超えて祀られたりもしたのではないだろうか。人間の営みに関係なく石は石の時間軸で生きていて、時々人間が石を見つけては勝手に祀ったり祀らなかったりするという関係を続けていて、ある時になって丸石は道祖神として祀られるようになり、小正月や道祖神祭の芸能などさまざまな文化や信仰が集合・習合したり、途絶えたりしながら現在に道祖神信仰が続いているのではないだろうか。丸石は道祖神だけではなく、屋敷神や色々な神を祀っている石碑や祠の前にもたくさん祀られている。道祖神だけではなく、この地ではさまざまな神が丸石で表されていく。
 近代に入ってから、近代以前のようなハレとケを重視する生活感覚が失われたことによって、丸石神も信仰心が希薄化しているという意味で石神未満化しているといえるかもしれない。もちろん今も祭をやっている地域は多く、道祖神の多くは地元の方々に大事にされている。しかし生活が変わり道祖神場は現在、ゴミステーションとして活用されたり、自販機群が並んだりもする。敷地の側にコンビニが立ち、道の拡張に伴い移設されたりもする。役目を終えて消えていくものもある。道祖神を媒介として集落の拠り所にしたり自然と呪術的な対話をするような感覚は徐々に失われつつある。しかし、石神未満化した道祖神を介して新たな関係を紡ぐ感性も生まれてきているのではないかとも同時に感じている。 それは生活や景色が人間の都合で変わっていっても、石の変わらなさが私たちに気づきを与えてくれている。人間の都合で勝手に祀られている石たちが、気に留められなくなっていくことで、逆に「今」を重視しすぎる人間の時間軸を超えた存在としてもう一度浮かび上がりはじめる。本質的に石は人間とは無関係であるという意味で「神未満」であることが、私たちが石を神とみてしまう条件となっていることに気づく。そしてそうした新たな感性がこの地に培われるのも、もともと対話の難しい石や丸石神や道祖神との「いい感じ」な戯れを続けてきたからだと思っている。