《Snow tower》
2022
素材:スノーダンプ(クマ武)、鉄

越後妻有 大地の芸術祭2022参加作品

スノータワー

 十日町は400以上の集落が集合している自治体で各集落内の結びつきが強く、それぞれの特徴を活かした小さな集まりや祭りが地域ごとに開かれている。その中で本町7丁目と三和町は合わせて七和地区と呼ばれている50年ほど前にできた十日町の新興住宅地である。各地域、集落から次男や三男に当たるような人たちが根づいてできた町だ。古いしきたりに縛られるのではなく新しいことをはじめようという意識も高く、だからと言って歴史を疎かにするのでもない、活気のある人たちが集まっている。
 そんな七和地区を象徴しているのが、この「七和防災倉庫」という建物である。この防災倉庫は10年ほど前に地区で貯めたお金で購入した米の貯蔵庫だった建物である。防災倉庫では雪まつり、夏祭り、命を守る会、地区の猟師が仕留めた猪を捌いて食べる会などのイベントが開かれる。この場所を使えば土足で入れるし回遊性も高くコミュニケーションが取りやすい。ちょっとした集いも開きやすく、地区の結束と自由度を大きく底上げしている場所である。また十日町は毎年雪像を地区ごとに作って審査する雪まつりが開かれているが、七和地区は古今東西の様々な神話や物語世界を結びつけ横断するような独特の世界観を高い技術力で表現する雪像を作り一線を画しており、この防災倉庫を会場としている。
 豪雪で有名な十日町だが、まさに雪がこの地域の基盤を作っているともいえる。原始の時代から人間にとって冬は特別な季節で、特に一年のうちにもっとも太陽の距離が最も遠くなる冬至の日は太古の昔から死と再生の意味がこめられおり、家や集落の作り、世界中のさまざまな祭祀にも影響を及ぼしていることがわかっている。その一つが今も続いている小正月の行事がある。十日町でも、どんど焼きやドウラクジンヤキなどさまざまな呼び方がある火祭りや、家や塔などを雪で作ったホンヤラドウを中心に行われる鳥追いなどにつながっている(赤倉集落のホンヤラドウは北越雪譜に出てくる鳥追櫓と同型である)。雪まつりの雪像作りは、芸術的、造形的な意味の側面もあるが、コミュニティの結束を高めるという意味合いを考えるとむしろドウラクジン(道祖神)を作った雪像や、ホンヤラドウなどに意味や機能が近付いているように感じる。冬至の祭の意味というのはどこも形骸化しているが、そのように視点を広げていくと豪雪地帯では形を変えてもまだギリギリ残っているのではないだろうか。近代以降失われてしまった人間の所有を越えた共有地の役わりを雪が担っているのかもしれない。実際、雪は一時的に土地に堆積して、ある意味誰のものでもない新たな場を生み出し、溶けだした後は大地へと還元され、私たちにさまざまな恵を与える。雪があることで過酷な環境に置かれることは間違いないが、そのおかげで人間は一人では生きていけないという現実に直面する。近代に雪の過酷さから出稼ぎ文化が生まれ、そしてそこからの脱却精神が、粘り強さと発想力を鍛え、越後ちぢみから明石ちぢみへの転向や錦鯉の養殖など、個人主義に偏らない土地に立脚したこの地域の独特な近代化を生み出している。除雪の発展もその一つであり、十日町市の新座の樋熊鉄工所が昭和50年台にステンレス製の軽くて丈夫なスノーダンプ型の除雪具である「クマ武」を発明した。「クマ武」は今では十日町市民の多くが愛用し、一つのシンボル的な存在にまでなっているように思う。だからこの地域は冬こそ本来の姿が現れる。
 今回、その本当の姿の影でも見せることができればとこのスノータワーを建てた。十日町の近代化は、原始の時代から続く自然と人との精神的な営みが連なっていると僕は思っている。原始の精神を引き継ぐ近代のホンヤラドウとも言えるかもしれない。このスノータワーはそうした意味を込めたモニュメントである。

深澤孝史