TITLE: 常陸佐竹市 Hitachi-Satake City
YEAR:2016
茨城県北芸術祭2016 出展
元常陸太田市役所であった、常陸太田郷土資料館梅津会館1Fを想像上の市「常陸佐竹市」の市役所へと変貌させた。
江戸期以降は水戸徳川家の治めた地であるが、現在においても根の部分においても常陸佐竹氏はその精神性や、現実的な血筋として受け継がれている。
常陸佐竹市の歴史展示、市民登録、常陸佐竹市祭などを通して、この地に今も脈々と続く「佐竹力」を明らかにしていく。
そのように、歴史の縦軸を結びなおしていくことで現代における私たちの創造的な生活の重要性を見つめていくプロジェクト。
市長挨拶
私は、茨城県北地域を軸に誕生した「常陸佐竹市」の初代市長の常陸佐竹(深澤)孝史です。 常陸佐竹市は土地を持たない想像上の市です。ですが私は常陸佐竹市を単に架空のものとは考えておらず、実はずっとここに住む人々の中に存在していたものなのではないかと考えています。佐竹氏が象徴する豊かな精神性が、この地に住む多くの人々の中に今も生き続けているものだということを明らかにし、現代においてそのことがとても大切なことであると伝えていくためにこの市を立ち上げました。
常陸佐竹市は、茨城県の県北地域であるおくしちぐん奥七郡から出発し、一一〇〇年代より四七〇年もの間勢力を維持してきた常陸佐竹氏から市の名を取っています。佐竹氏は清和天皇の流れを汲み、新羅三郎義光を祖にし、その孫である昌義が佐竹郷の馬坂城に入城し、佐竹氏の初代となったことからはじまったとされています。清和源氏の血筋では、今尚血脈が途絶えていない唯一の最も古い家系です。常陸佐竹氏一族は、棚倉断層を由来とする金山などの鉱脈や、山と海に囲まれた豊かな土地の恩恵を最大限活用し、五四万石の戦国大名として発展していきました。また佐竹氏は近接地域を征服するのではなく、一族を養子に出し、親戚関係を築くことで勢力を拡大していったので石高の総量はもっとあったのではと言われています。
しかし私たちは、歴史から佐竹氏のあまり目立った活躍を聞きません。源氏の家系ですが、平氏についていたため源頼朝に攻められ一時期領土を没収されたり、関ヶ原の戦いの時は、静観しつつも石田三成側につき、秋田に国替えを命じられたりと、高い戦力は持ちつつも常に勝ち続けていたわけではなさそうです。 一六〇二年に秋田に転封された後も、その土地に根ざし街を発展させていきました。さらに子孫が現在の秋田県知事であり、今尚地方自治の長を担っています。最も長く血筋を絶やさず、内政に優れた人物をこれまで輩出し続けてきたのです。
私たちは一見目立って、活躍していて、凄そうに見えるものに注目しやすいのですが、佐竹氏は別の価値観を私たちに提示してくれているのではないかと私は思うのです。佐竹氏のように実際に長く残るのは土地に根ざし、既にあるものの力を活用し、日々の生活を大切にする態度にあるのではないかと思えてきます。今この地域に住む人々にもそうした精神は受け継がれています。佐竹氏に象徴されるように、土地や縁に根ざす態度と精神を受け継いだ「現代の常陸佐竹氏」とも呼べる人々が茨城県北の地にはたくさんいます。そうした精神性を私は「佐竹力」と呼びたいと思います。私は常陸佐竹市民と出会い、佐竹力を掘り起こし、結びつけていくことで、常陸佐竹市の輪郭を浮かびあがらせていきたいと考えています。
常陸佐竹市市長 常陸佐竹(深澤) 孝史
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