スクリーンショット 2015-06-13 20.34.41TITLE:庵原市国際芸術祭  IHARA CITY INTERNATIONAL ART FESTIVAL

YEAR:2014

谷竜一との共作。 2014年5月、富士の山ビエンナーレ発起人の文具店社長の谷津倉さんに出会い、話しを伺った。 2000年頃から日本の様々な芸術祭、国際展をまわっていたこと。富士市の小学校前の文房具店から店をはじめたこと。全国的に人口減少、高齢化が進む中、地域に眠る遺産を次の世代に託していきたいと考えていらっしゃるようだ。開催地域は、静岡と富士のちょうど境目。廬原氏が古代より長い間支配下に置いていた地域であり、庵原郡だった由比、蒲原、富士川が文化圏を同じくしているも、2006年の平成の大合併により由比、蒲原が静岡市、富士川が富士市と合併し、文化圏的に分裂している地域。 放置されている私有物件も多くそれぞれが朽ちるのを待っている。 もし庵原郡が「庵原市」として合併していたら、どうだっただろうと思った。そうだったとしても状況はさほど変わらないのかもしれない。ただ経済的な利点による合併の分断が、逆説的に、自らの街をつくっていくという意識を起き上がらせたようにも思えた。 この富士の山ビエンナーレというのは、芸術祭と銘打ってはいるが本質的には「庵原市」をつくることなんじゃないかと直感的に感じた。 庵原市はもちろん実際には存在しない。 それぞれの町に住む人々にとって無関係なようで関係があるようなもう一つの町をつくることで、町に対する様々な思いを反映するような重層的な状況をつくる。 ありえたかもしれない/かつてあったかもしれない架空の市「庵原市」にて地域をさまざまな人の視点でみつめる芸術祭を開催した。 独自のスマートフォンアプリを開発し、来場者が写真を撮影すると「作品タイトル/名前(撮影者/制作者)」を入力する欄があらわれ、撮影した写真が架空の芸術祭の出品作品/自分で決めた「庵原市」となる。撮影する際は変化し続ける庵原市の形のフォトフレームをのぞいて行う。 また撮影された位置情報をもとに、芸術祭/庵原市の地図ができていく。たとえ土地が失われても、まだ見ぬどこかに故郷は見つかるかもしれない。
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